2022年10月13日(木) セルリアンタワー東急ホテル39F「ルナール」において、第8回円卓会議を開催致しました。
第8回となる本年度のテーマは「エネルギー」。前半は、JX石油開発株式会社 国内CCS事業推進部長 古舘恒介氏によるキーノートスピーチ、後半はご出席者の皆様によるフリーディスカッションを行いました。
【開催概要】
日時 | 2022年10月13日(木) 15:00~17:30 |
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会 場 | セルリアンタワー東急ホテル 39 階「ルナール」 |
テーマ | エネルギー |
プログラム | 15:00 開会挨拶 代表幹事 貝田 崇 ( 東急株式会社 プロジェクト開発事業部沿線戦略推進グループ 統括部長) 15:10 キーノートスピーチ 15:45 フリーディスカッション 17:30 閉会 |
ご出席者 | ■ アドバイザリーボード・メンバー
■ 幹事会員
■ ゲスト ■ 司会進行 |
キーノートスピーチ
エネルギー問題を
考えるということ
JX石油開発株式会社 国内CCS事業推進部長
古舘 恒介氏
エネルギー問題に正対するには総合的な知が必要
本日は、私が著書『エネルギーをめぐる旅』を通じて、もっとも世の中に問いたかった「エネルギー問題を考えるとはどういうことなのか」について、私なりの考えをご紹介したいと思います。
私は今、巷で喧伝されているエネルギー問題は、突き詰めるとイデオロギー問題なのではないかと考えています。誰もがいろいろな意見を言うんですけれども、結局のところ匿名性があり、根っこでは誰も責任を取っていない。そういう状況である限り、議論はなかなか深まっていきません。このような問題意識から、エネルギー問題を考えるために必要な知識とはなんだろうということをずっと考えてきました。
エネルギー問題には3つのレイヤーがあると私は整理しています。ひとつめが資源の分配の問題です。人間社会においては、獲物や収穫物の分配をどうするのかという議論が、最初のエネルギー問題でした。もちろん人類に限らず、植物や動物とどうエネルギーを分配するのかという問題もあります。それらを考えるにあたっては、社会学や政治学、宗教に関する知識が必要だろうと考えました。
次に、資源の枯渇や偏在といった、地域レベルの環境問題です。森林資源の消耗や土壌の流出は農学の話です。産業革命以降は化石燃料の利用が始まりますが、これを理解するには理学・工学・経済学・地政学といった知識が必要になります。さらにウラン燃料の利用ということになると、政治学的な議論も必要になってきます。
そして、最後にようやく地球レベルの気候変動問題が出てきます。これも理学の知識が必要になりますし、適切な規制やインセンティブをかけるには政治学や経済学に対する理解も必要です。何を申し上げたいのかといいますと、エネルギー問題に正対するには「総合的な知=リベラルアーツ」が必要だということです。
エネルギー問題とは
レベル①:資源分配問題
- 獲物・収穫物の分配(社会学・政治学・宗教)
レベル②:地域レベル環境・資源枯渇・偏在問題
- 森林資源の消耗・土壌流出(農学)
- 化石燃料の利用(理学・工学・経済学・地政学)
- ウラン燃料の利用(理学・工学・経済学・政治学)
レベル③:地球レベル気候変動問題
- 温室効果ガス(理学)
- 地球温暖化モデル(理学)
- 規制・インセンティブ(政治学・経済学)
エネルギー問題に正対するには、総合的な知(リベラルアーツ)が必要
正義は常に揺らいでいる
もうひとつ「エネルギー問題に正義はあるのか」について併せて考えてみたいと思います。エネルギー問題は、皆がいろいろな角度から意見を言い、それぞれの正義を主張しているように見えます。そして、なかなか意見がまとまらない。なぜそういうことが起こるのかを、マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』という本に書かれていたアプローチで、整理してみたいと思います。
まずひとつめが「幸福の最大化」です。最大多数の最大幸福が正義であるという考え方ですが、このような多数決の論理は、エネルギー問題と親和性がよくありません。エネルギー利用の効用は容易に測れますが、結果として生じる悪影響の測定は非常に難しいからです。特に多数決の論理では、気候変動の影響を受ける未来の人類の意見がカウントされないという大きな問題をはらんでいます。
ふたつめは「自由の尊重」です。これは言葉のとおり、個人の自由を尊重する方向にドライブしていくことが正義であるという考え方です。これについてもエネルギー問題とは親和性がよくありません。簡単にいえば、再生可能エネルギーよりも化石燃料のほうが効率がいい。そういう中であえて効率の悪いものを使わせるというのは、ある意味で選択の自由の制限に当たります。それを半強制的に政治的なルールメイキングで実行することもできますが、ややもするとバイアスがかかった形で規制がかかり、結果として科学の権威を脅かすリスクも生じかねません。
3つめが「美徳の促進」です。これは、地域社会において善良とされる行為を行うことが正義だという考え方です。たとえば、日本社会で生きていくうえでは礼節を守ることが正義だといったことですね。これについても地球規模の問題に対して、全人類に連帯をもたらす社会秩序がまだ構築できていないという問題があります。文化的に分かれて暮らしている人類は、まだひとつの目標に向かっていくというところに至っていません。
つまり、3つの正義のアプローチとエネルギー問題は、折り合いがよくないのです。ですから大事なことは、エネルギー問題における正義は常に揺らいでいるということを理解することだと思います。自分と異なる立場に立つ人の存在を認め、寛容さを失うことなく、社会全体の最適化を目指す努力を続ける。そういう地道なアプローチが、結果としてソリューションを生み出すことにつながるのだと思います。
社会のありようそのものが問われている
自然界というのは、地域規模で太陽光エネルギーの奪い合いをしており、非常に厳しい生存環境にはあるけれども、無駄のないエネルギーの分配を行っています。一方で人類社会というのは、地球規模でエネルギー資源の分配をやっています。私が重要だと思っているのは、人類はいくらでもエネルギーを浪費できてしまうという点です。浪費ができ、不適切な分配もできてしまう。たとえば木は大体50年で成木となりますが、それ以上のハイペースで消費すれば当然、森林が消失していきます。文明社会というものは、加速度的にエネルギーを消費しながら、ここまで来ている。ですから、このあたりの対応を考えることに、未来への鍵があるのかなと思っています。
私は本の中で、エネルギー革命について独自の分類を試みました。 人類のエネルギー使用量の桁が変わるほどの大きな事象は、過去に5回あったと考えています。最初の革命は「火の利用」です。ホモサピエンス以前の原生人類が火を獲得して、これによって胃腸が小さく脳が大きくなるという進化を遂げています。次が約1万年前に起こった「農耕の開始」です。そして18世紀の産業革命のときに「蒸気機関の発明」が起こり、19世紀には「電気の利用」が始まりました。最後に「人工肥料の開発」が20世紀に起こり、人口が爆発します。人間1人当たりのエネルギー消費量も右肩上がりで増えていき、特に先進国では1人当たりのエネルギー消費量が非常に多い。なぜこんなことになったのかというと、キーワードは「早回しされる時間」かなと思っています。
エネルギー革命 | 短縮されたもの |
第1次:火の獲得 | 食事にかかる時間 |
第2次:農耕の開始 | 十分な食料確保にかかる労働時間 |
第3次:産業革命 | 仕事・移動にかかる時間 |
第4次:電気 | 情報処理にかかる時間 |
第5次:人工肥料 | 食料(特に食肉)生産にかかる時間 |
5回のエネルギー革命を通じて、いろいろなことが短い時間でできるようになっていきました。火を利用することで、本来胃腸が負担しなければいけない消化にかかるエネルギーを外製化し、食事にかかる時間や消化の時間が短くなりました。また、農耕が開始されると、食料確保のための労働時間が減りました。産業革命以降は仕事や移動にかかる時間が減り、電気の活用で情報通信処理にかかる時間も減っていきました。そのような形ですべて、時間がどんどん短縮する方向に向かっているのが現代社会です。
資本主義社会とは、今日よりも明日、明日よりも明後日が必ず発展していると信じることでドライブしていく社会です。これはひとつの宗教ではないかと思うので、私は現代社会を支配する「資本の神様」と言っているんですが、資本の神様が現代社会を支配できる理由は、ひとえにエネルギーを大量投入しているからです。
台風というものは南の海からエネルギーの潤沢な供給を受けて発達していきます。そして北上するに従って力が弱まり、最後は海からのエネルギー供給がなくなって消滅します。このように、エネルギーの供給を受けてどんどん発達していく構造を散逸構造といいますが、資本主義社会もまさに散逸構造になっていると思います。
もちろんこれは悪いことだけではありません。環境クズネッツ曲線といわれる経済学の考え方では、経済が発展していけば、環境への負荷は減っていくとされています。最初はどうしても環境負荷が高いのですが、ある程度経済が成長すると、外部不経済を内部化することができるようになり、環境もだんだん良くなる。だから、一概に全部がダメということではありません。ただ、現代はエネルギーを投入することですべての問題を解決しようとしてきたところがあるということなんです。
エネルギーを大量投入することによって、自然界のクビキから解放されてきたのが現代社会である。そして、資本の神様が現代社会において支持を得られているのは、自然界のクビキから解放することを約束できていたから。でもそれは、エネルギーの大量投入なしではあり得ません。だからこそ、エネルギー消費がなかなか減らないというのが、私なりに理解した現代社会の構造です。
つまりこれまでの資本主義社会のままでは、我々は時間をどんどん短縮する方向で動き、エネルギー消費が増える方向にしか行かないということです。こうした社会を私は脳中心で進む「脳化社会」と呼んでいます。つまり、エネルギー問題の本質とは、そうした社会のありようそのものが問われているということではないでしょうか。
フリーディスカッション
テーマ
「エネルギー」
科学技術の可能性と限界
夏野古舘さんのお話を聞いていて、人類の行き着く先はいったいどこにあるんだろうと考えていました。今、ちょうど原発を再稼働させるという話もありますが、同じ単位のエネルギーを排出するために必要な労力は、昔と比べたら相当減っていると思います。人類の労働時間が短縮されてきたというのは、その効果だと思うのですが、一方で人類が働くことの定義自体も変わってきているように思います。
古舘たとえば今、若い人を中心に倍速で映画を観ることが当たり前になりつつあります。サブスクなんだから、1本でも多く観たほうが効率がいいということのようですね。けれども「本当にそれが幸せなのか?」ということは、これから問われてくると思います。人類の歴史というのは、とにかく時間を早回しすることに価値があるという前提で、すべてがドライブされてきました。しかし、これをずっと続けていって行き着く未来は、本当に我々が目指している社会なのでしょうか。今は、そのことに気がついた人から、スピード重視の社会とは違う社会を目指し始めている時期だと思います。この先の方向性は、今までの延長線上にはないところにある、という可能性を感じているところです。
夏野私は出版社の社長もやっていますが、出版の世界では、コロナ禍の影響でものすごく面白いことが起こりました。なんと、本が売れるようになりました。なぜかというと、本は1冊読むのに最低でも5時間はかかります。これがいいんだって言うんですね。漫画は1冊読むのに20分で終わっちゃう。映画も2時間で終わっちゃう。これだと、出すお金に対して費やす時間が短すぎて損だと感じる人たちが、以前にも増して本を読むようになったんです。これは、ある意味で時代の逆行であり、古舘さんがおっしゃっている今の社会からの転換を示唆しているのかなと、実際に感じています。
三木若い人がそう言うのですか。
夏野年代とは関係なく、もともと活字を読むことに慣れている人が言いますね。テキストを読むことに慣れていない人は、やっぱり読みません。本を読む人は決まっていて、年代論は適用できなくなっていると思います。
三木古舘さんの講演を聞き、資料にあった「文明社会形成すごろく」を見ていると、森林資源を軸にした文明論ではないかと感じました。これは、スタートからゴールまで、中身はすべて科学技術の進化の話ですよね。ですので、文明の中で、科学技術の進化がどういう役割を果たしてきたのかということが、大変気になりました。
古舘キーノートでは触れませんでしたが、私が本を書いた目的の一つに、少なくともエネルギーに関して、科学技術の限界についての理解を促進したいという点がありました。エネルギーに関しては、熱力学の第一、第二法則というものがあります。第一法則では、エネルギーは無から有をつくれないということを言っており、第二法則ではエネルギーの質は劣化していくということを言っています。
これが意味していることは、人類社会がいかにすばらしいテクノロジーを発明しても、エネルギーをゼロから創り出すことはできず、使い勝手が良いエネルギーは減じていくということ、つまり資源は有限であるということです。それは時間の流れとも関係していますが、その事実をまず理解することが、立論していくにあたって非常に重要なところだと思っています。
今の社会というのは、何でも技術が解決してくれるという幻想があると感じています。もちろん技術で解決できる部分はたくさんあります。しかしそれが、いわゆる他力本願になってはいけない。エネルギー問題は、我々全員に関係があり、責任のある問題です。誰かが技術革新をして解決してくれるというふうに単純化して、問題から逃げるという姿勢がはびこるのはよくないと思います。
そういう言い方をするとエネルギーにおける科学技術の未来はなさそうに聞こえるかもしれませんが、私は核融合には、期待をもっています。本当に核融合ができれば、エネルギー論的には相当大きな成功になることは間違いありません。ただ、それができても、社会に普及して使えるようになるのは、 22世紀がいいところです。この間、人口もまだまだ増えていきますので、やはり今世紀を既存の技術の延長でどう乗り切るかということが、大きな課題だと思います。リニューアブル・エナジーはもちろん非常に大切ですけれども、これが決定的なゲームチェンジャーになるとは私は思っていません。ゲームチェンジャーは、やはり核融合、宇宙太陽光発電など、本当にすごいレベルのものになってくると思います。
小宮山この間、京都で開催された科学技術社会論学会 (Japanese Society for Science and Technology Studies)という会議に参加してきました。1500人ぐらい集まって、ノーベル賞受賞者も20人ぐらい入っているすごい会議ですが、そこでは、少なくとも科学技術ですべての問題が解決できるという意識はもうまったくないですね。
今、核融合とおっしゃったけど、おっしゃるように、核融合はできてもずっと先です。30年後に実証炉をつくると言って、もう60年も経っているのだから、簡単に出来るはずがありません。だから僕は、核融合は太陽にやらせておけばいいと思ってます。宇宙にあれぐらいの大きなものが浮かんで、自然の重力で安定して150億年ぐらい核融合のエネルギーを送ってくれている。そのエネルギーは、今地球上で人間が使っている全エネルギーの5000倍です。日本でも太陽光と風力だけで、それほど無理することなく、今の発電量の3倍のエネルギーはつくれますよ。だから僕は、エネルギーは太陽光の時代になると思っています。
ただ、原子力を今使うかどうかというのは話が別です。この間のSTSのエネルギーに関する結論は、再エネの圧倒的な増大、生産力の増大、これがファンダメンタルであると。ただトランジションの時間というのがあって、そのトランジションを乗り切るためにメタンとニュークリアが使われることになるかもしれない。could beという表現でした。「transition could be overcome by nuclear and methane」というのが、会議の一応の結論でしたね。僕はそれに賛成します。
紺野イノベーションの視点から見ますと、テスラは自動車会社としてでなく「太陽光で生きる社会をつくる」ことを大目的に電気自動車を製造しています。だから太陽電池の開発を手がけたり太陽光発電を手がけているんですね。そういう意味では、これまでとは発想が違う企業が20世紀の工業型の企業を席巻していく時代が来ているなと思います。古舘さんの先ほどの話では、今は人工肥料による第5次エネルギー革命にあります。人工肥料ということは、つまり食料生産にかかる話ですよね。最近、私は合成生物学(Synthetic biology)に注目しています。チキンやビーフなどが、バイオリファイナリー※1で合成できるようになってきている。
ただしこれが進んでいくと、せっかく火の獲得で食が変わり、その上に人間が文明を築いてきたものを、自ら壊していくというネガティブサイクルに入っていくのではないかなと思うんですね。今、我々は、何も料理しなくても生活できるようなところにまできている。そうすると「なんで生きてるんだっけ?」ということになりかねないわけですよね。
科学技術がハードパスだとすると、オルタナティブなサイエンスとアートが融合していくソフトパスもあると思います。私は、広告の分野も専門ですが、1960年代のCMで、主婦が家事に困っているとフライドチキンをもった楽隊がやってきて主婦を助けて喜ばれるという作品がありました。そういうふうに、今までは消費社会が広告でアートを使って食文化を商業化してきた。でもこれからは、生活者側がアートを使っていくべきだと思います。
※1 バイオマスを原料にバイオ燃料や価格品を生産する技術や産業
中村古舘さんは「脳化社会」という言葉を使われていましたよね。
古舘そうですね。脳化社会というのは、とにかくなんでも効率を追求して、自分の身体的な負担をどんどん軽くしていくような形の社会という意味です。
私は、脳というのは抽象概念を扱うことに長けているところが重要かなと思っています。そこをどんどん加速させていこうとしている点に問題意識をもっていました。しかしここまでの議論をお伺いして、同じく抽象概念のひとつともいえるアートの捉え方を変えていくことで、時間というものを コントロールし、スローダウンさせることもできるのではないかと思いました。とにかく早回しすることだけに価値があるというような考え方から自然に離れていくことができるかもしれません。
エネルギー問題と教育
髙橋(修)先ほど夏野さんがおっしゃっていた、本がコロナ禍になって売れたというのはすごく興味深い話だなと思って聞かせていただいていました。というのは、やっぱりオンラインでいろいろできるようになったり、メタバースがこれから来るぞと言われたりしている中で、物理的に本をめくるといったことで、時間軸を正常化していくことを一部の人はやり始めているんじゃないかと思ったんですね。
そう考えたときにすごく大事だなと思うのは、やっぱり「教育」です。そういうことに気づく瞬間をどうつくっていくのかが、エネルギー分野での科学技術の開発とはまた別の文脈で、非常に重要になってくるのではないかなと思いました。
過去に水素エネルギーに関して、大手自動車メーカーさんとやったプロジェクトがあります。例えば小学校や中学校で水素っていうと、溜めて火をつけるとボンってなるやつ、というイメージですよね。だから「水素は爆発する」と、みんなが覚えるわけです。そう思われているから、水素社会が来るというと「水素怖い」となってしまう。爆発するのは水素の持つ性質のいち側面であり、安全な管理や貯蔵、エネルギーとして有用性などほかの面も含めてトータルで考える必要があります。そういう意味では、出会いの部分でどのようにエネルギーや社会を捉えていくのかということや、いわゆる効率化重視の話とはまた違って、フィジカルな我々の感覚にマッチした部分で何ができるのかというところが、すごく大切になってくるんじゃないかなと思います。
そして私は、教育というのは「何を、誰が教えるか」が大事なのかなと思っています。先ほども、エネルギーは総合的な知だというお話があったと思うのですが、次世代に対して教育活動をするときに、誰がどんなことを教えれば、未来の社会の中でのエネルギーと向き合い、生き抜いていけるような人を育てていけるのかを議論することが大切ではないでしょうか。
古舘教育は、間違いなく大変重要です。とにかくエネルギー問題というのは俯瞰して見ないとわからない、分解しすぎるとわからなくなるというのが私の考えです。そういう意味では、俯瞰したものの見方をどうやって教えるのかということは気になります。抽象性の高い議論をどうやってするのか、そこでどういう合意形成をするのかという訓練は、現在はあまりやられていない。全体を分解して学ぶのではなく、70〜80億の社会を100人に置き換えて考えてみるなど、総体をそのまま生かした発想法の教育があっても良いのではないかと思っています。
人類社会がもともと150人とか200人ぐらいの構成人数だったことからくる「ダンバー数」というものがあります。人が安定した社会を構築できる人数を表したものです。確かに実感として、顔と名前と性格が一致する数は、やっぱり200人ぐらいかなという気もするのですね。そして、そのぐらいの規模の社会であれば相手を思いやることができる。エネルギーのように世界規模の問題を考えていく上でも、世界全体を自分のわかるサイズに落とし込み、総体として捉えるという訓練をしたらいいのではないかと思っています。
小宮山誰が教えるんだっていうことについては、僕も実験してるんだよね。例えば、二子玉川にある都市大学の夢キャンパスで、全国から中学生が80人ぐらい集まって4泊5日で学ぶ「プラチナ未来人財育成塾」というプログラムをやっています。それは、半分は講義だけど、半分はグループワークです。その各グループにはシニアだけでなく、大学生も2人、チューターで入ります。これがすごくいい。スピードがものすごく上がっている社会では、年配者が若い人に教えるっていう今までの教育スタイルだけでは無理なことは、もうわかっているんだよね。
文科省は、プログラミングを教えるとか英語を教えるということは決めるんだけれども、誰が教えるかっていうことはあまり考えていないんだよね。そして、文科省が決めるのを待っていても、遅くて間に合わないんですよ。だから僕は学校の外に民間で教育の場をつくっていったほうがいいと思う。そのときのカギは多様な場であること。誰が生徒で誰が先生かよくわからない、そういう形で人を育てていく以外には、ちょっと今のところいいアイデアが考えつかないっていう感じですね。
木村教育の話が出たので、事例として共有します。弊社が岐阜県で、公立学校で初めてゼロエネルギーの建物をつくりました。その際、建物だけをつくるのではなく、生徒自身も参加することによって、ゼロエネルギーは本当の意味で実現するのではないかと考えました。そこで、機械で制御しようと思えばできるところを、今の光の動きはこうだから、風がこうだからというふうに、あえて生徒にモニターを見てもらい、教室の制御ボタンを操作してもらうことにしたんです。楽しみながらできるように、教室ごとに消費エネルギーのランキングを出したりもしています。すると、8割ぐらいの生徒が環境について考えるようになったという結果が出ました。さらに、家庭でも省エネについて考えるようになったというお話もありました。教えられただけでは、なかなかそこまでは意識できません。やっぱり体験することが大切なんですね。学校生活の中で、そういったことが体験できる場がうまくつくれれば、自然と深く学んでいけるんじゃないかなと思いました。
紺野私もまったく同じことを言おうとしていました。脳化社会はこれからも進んでいくのだと思いますが、だとすれば、なおのこと心配です。身体の問題と密接に関わってくるからです。
先日、英国の国会議員が、未来のファッション業界やクリエイティブ産業がどうなるかについて人工知能を搭載したアーティスト・ロボットをゲストに呼んで聞いていました。イギリスは面白い。彼女はいろいろなことに答える。ただ身体的な経験についてはこのロボットには答えが出せない。身体性の欠如というのは、ロボットも自分でわかっているわけです。
人間がやらなきゃいけないのは、脳化社会であるからこそ、身体性、つまり暗黙知を育むことです。そして体験というのは、脳だけではなく身体から学ぶという暗黙知の部分が大きいんです。だから今後は、ますます「場」が大事になっていくと思いますし、リバネスでやっている教育なんかもまさにそうなんじゃないかなと思います。
髙橋(修)僕らは手で学ぶって言っていますね。
紺野そういうものをカップリングしていくっていうのはすごく大事だなと思います。
生き方の転換が持続可能な未来を担保する
涌井古舘さんの本、非常に面白かったです。なぜ面白かったかと言いますと、人類史という視点を軸にしているからですね。これが非常に重要です。
今、人口が80億人近くなっているという状況ですが、これは絶滅曲線といって、生物学的にいうと、こんなに急激に個体数が増えていけば、必ず絶滅する。ということはもう、私たち人間は、絶滅のレールの上を走っているわけです。
私たち人間は、これまですべての科学技術を、フォアキャストの延長線上で考えてきました。でも地球の半径6400kmのうち、生命圏はわずかに3kmしかありません。そしてその中で、物質とエネルギーを再生循環しているわけです。そのリミットを我々がもっと真剣に考えて、危機的意識をもたないと本当に絶滅してしまいます。
だから、どこかでバックキャストして、カタストロフにならないようにしなければいけない。かろうじてロジスティック曲線を描くように、持続的未来を考えるということが課題ですね。そして、その課題の真ん中にエネルギー問題をもち込んで解説したのが、古舘さんの本だろうというふうに思います。なんだか書評みたいになってしまいましたが(笑)。
そして、その解はいったい何かというと、産業革命によりつくられた、超広域、巨大といったメガな輪っかを適正な大きさや、むしろ小さく完結できる方法を目指して、エネルギーの無駄な消費を無くしていくことなのでは?
龍安寺の裏庭に「吾唯足ることを知る」っていう水鉢があります。もうそろそろ、足ることを知るという方向の中で、無駄なものを排除していくというふうに、ライフスタイルの転換を図っていく必要がある。つまりエネルギー問題を含めたトランスフォーマーティブチェンジですね。環境にも容量があるように、我々のライフスタイルの中にも環境消費の限界を意識する。我々の生き方の転換と、持続的な未来をどのぐらい担保できるかということは、1セットです。
それからもう一つは、人間は、身体的にも精神的にも生態系の一部を成すという認識に立ち返る必要があるということです。我々は今、野生の本能を喪失しているわけです。それを知識で解決しようとするのか、イメージで解決しようとするのか。そこは、アインシュタインの言葉を引くまでもなく、ナレッジよりイメージですね。そして、イメージを自分たちがつくるためには何が必要なのかというと、結局は身体的な活動なり行動なりで、五感というものをどう働かせるのかということになるんですね。今アートが着目されているのは、トレランスに共有できるものは、知識とか理屈ではなくてアートなんだ、五感に訴えることなんだ、ということだからなんじゃないかと思っています。
古舘本当におっしゃる通りでして、アートは確かに言語化しないところで本能に訴えることができるという、全人類に等しく通じる部分があると思います。アートを通じて、これはやらなければいけないというところが自然に得心に至る可能性は十分にある。特に議論することもなく、やるべきことをみんなが自然にやっていく社会ができてくると思います。
涌井それと、エネルギー問題を最小化するのはDXだと 思うんですよ。でもDXが万能だと考えてしまうことを、私は非常に心配しています。だから私は輪っかを小さくするだけではダメだと思っているんです。イメージを強化するっていうときに何が必要かというと、その中の振り子がまんべんなく振れていること。デジタルのほうに振れるということは「バーチャル」ですよね。でもバーチャルで止まっていると、心理的な部分で生理的障害が起きるんですよ。だから振り子を戻すことがすごく大事。戻したほうが「リアル」で、さっき言った五感にもつながると。教育も小さくするだけじゃなくて、体感と知識を常にバランスさせるという方向でないといけない。DXが進めば進むほど、破滅的人間が出てくるのではないかという心配をしてるんです。
黒田先ほど古舘さんが、多数決では気候変動の影響を受けることになる未来の人類の意見がカウントされないというお話をしていらっしゃいました。私は以前、京都で関西財界セミナーをやったときに、40歳以下の人と40歳以上の人たちに分かれて議論したことがあるんですね。まだSDGsが出始めの頃でしたが、そこで、若い人たちから我々に対して、環境破壊をはじめ、いろいろな課題を残してきたのはあなたたちじゃないかと言われたことがあります。それなのにあと十数年から二十数年であなたたちはいなくなる、というふうに、どちらかいうと厳しい言い方をされました。
環境負荷を減らすために、企業はいろいろなことに取り組んでいるかもしれないけれども、そういう会社のほとんどは、ものすごく大きい環境負荷がかかる事業をやっている。だから、いかにも環境負荷を減らしているように見せているだけで、絶対量としては変わっていない。つまり、やっているふりをしているだけなんじゃないか。このままいったら、自分たちの子どもは青い海で泳げるのか。灰色の空しか見れないのか。このことを、みなさんはどんなふうに考えているのか。ただお金さえ出せばいいというふうに考えているのではないかと言われ、かなりシリアスになったんです。
答えを求める会議ではなかったんですけれども、我々年寄りはですね、みんな結構しょんぼりして帰ったんですよ。それは、本当にきつい話だったんですけれども、だからこそ、企業経営者としてもっと真剣に環境問題に取り組むべきだという意識づけの機会になりましたし、我々の世代が元気なうちに、若い人たちと一緒に少しでも取り返す努力をすべきではないかと考えるようになりました。世界的に見ても、エネルギー問題はとても重大な問題だと思います。しかしまずは日本の中で、我々が得たような気づきをどう与えていくかということが大事なことではないかなと思います。
持続可能な社会のために企業ができること
髙橋(和)東急は今年で創立100周年を迎えます。最近よく「次の100年は何をしますか」と聞かれるんですけれども、地球が悲鳴を上げていて100年もつかどうかわからないっていうときですから、それに対して企業としてコミットしない前に、次の100年後はこうしたいと言う資格はないだろうと思っています。
ではどうしようかということで、まず2022年3月に環境ビジョンを発表しました。その中心にあるのは、我々は今後、脱炭素社会と循環型社会の両輪でまちづくりを進めていくということです。2030年、2050年とちゃんとした数値目標を設定し、そこに向けて具体的にアプローチしていく。環境問題に正対すると、確かにコストはかかります。しかし弊社としては、そこもしっかり踏まえた上で社会価値に貢献し、その上で経済価値を求めていくというビジネススキームに変えていこうと考えています。そうでなければ、次の100年はないと考えているからです。
その表れとして、2022年4月からは、東急のすべての鉄道を100%再生可能エネルギーで運行しています。やはりこれまでに比べて、どうしてもコストはかかります。しかし、少しずつでも具体的に対応していくことが大事なんじゃないかと思い、踏み切りました。
加えて申し上げますと、環境ビジョンのテーマは「何気ない日々が未来を動かす」という、ちょっと柔らかいメッセージになっています。いち企業でできることは限られていますが、沿線の方々を巻き込んで一緒にやっていけば、少しずつでも進んでいくのではないか。いきなりホームランはないというのが、環境やエネルギーというテーマだと思っていますので、地域も巻き込みながら少しずつ進めていくことが、なにより肝要ではないかと考えています。
天川こうした大きな問題は、どういうふうにやるか、どう知るかがすごく大事だなと思います。僕も東急東横線のユーザーなので、鉄道を動かす電力が100%再生可能エネルギーということを知って、本当にすごいなと思いましたし、本当にできちゃうんだと思いました。これは日本初なんですよね。
弊社も、なにかしら自分たちができることから取り組むべきだろうという思いがあり、関連する拠点で何かできたらいいなとは常々思っていました。今、とある地域で拠点開発をやっているんですが、そこで一つトライアルしようと思っているのが、太陽光発電です。もともと地域拠点になることをコンテンツからできたらいいなとは考えていたんですが、電力会社さんがパートナーにいらっしゃるので、その施設と近隣の違う会社さんがやられている施設の2拠点をつなぎ、施設で発電した電気を2つの施設にまたがって使おうということになりました。パートナーには車のメーカーさんもいらっしゃるので、余剰電力は売電するのではなく、EVにチャージします。そして、そのEVをシェアして、利用者や施設の方が使えるようにするということも始めてみようと思っています。
最近は、EVもすごく優秀になってきています。V2Hっていって、貯めた電力をもう1回家に戻すという技術も出てきているので、V2Hの技術をもったEVを使うことで、災害があったときにはちょっとした防災拠点になるというような ことにもトライアルしていきたいです。
こうした施設が身近にあって、実際に使ってくれること自体が気づきや発見になり、アクションしてもらうことにつながっていく。少し規模は小さいですけれども、そんな循環を生み出すことがここからできたらなというふうに思っています。
髙橋(俊)エネルギー問題をもっとコンパクトに小さな地域で展開していくと地に足のついた活動になるところもあるのではないかと思います。東急はまちづくりを専門に100年やってきました。たとえば、再生材を使った家のリフォーム事業には、じつは20年も前から取り組んでいました。それから、地域の中の人口の循環というものも、非常に大事にしています。郊外住宅地というのは、やはり駅から遠いわけですし、交通手段についてもどうしても不自由な部分があります。高齢になってくると、広くて管理ができなくなるといった問題もありますので、戸建てから駅前のマンションに移り住んでいただいて、若い人にはむしろ郊外に住んでいただくといったようなことができうる仕組みについても、今、いろいろ考えて取り組んでいるところです。
2022年1月には「ネクサス構想」を発表させていただきました。これは、田園都市線沿線で生活者視点の「歩きたくなるまち」をつくるために、東急グループだけでなく、行政やさまざまな企業を募って「農と食」「資源循環」「エネルギー」そして「モビリティアズアサービス」といった、いくつかのテーマについて取り組んでいるものです。実際にこのエリアでいろいろな実証実験をしていこう、そして事業化を試みようということで、いくつかの実証実験はすでに始まっています。
さらに、つい先日リリースさせていただいたんですけれども、桐蔭学園と東急、そして東急電鉄という三社で協定を結びました。これは教育とエネルギーをテーマにした相互連携協定です。桐蔭学園は東急線沿線にございますので、まちを学びの場と捉えた生活者同士の連携を実現しようと考えています。そしてエネルギーにおいては、地域のエネルギーの地産地消、そして余剰不足の最適化を目指そうということに取り組んでいきます。このエネルギーについては、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、桐蔭横浜大学の宮坂力教授が開発しているペロブスカイト太陽電池※2を、鉄道の駅や高架など、地域のいろいろなところに設置して、まちの電力を全部賄おうじゃないかというぐらいの大きな構想です。東急では、まちの永続化、そして循環化について常に考えていますが、エネルギーのような大きな話も実際に実現できるよう、今日の議論も参考にして、より具体的に取り組んでいきたいと思います。
※2塗布型で、変換効率が高く、低コスト・軽量・曲げることが可能な太陽電池
小宮山応援演説なんだけど、買ってあげるということがスタートアップを育てるいちばん重要なポイントなので、ペロブスカイト太陽電池の利用をぜひ進めてください。それと僕はね、これからはサブスクだと思うんです。東急でも東急のグループ会社でもなんでもいいんだけれども、会社が所有して、何年かして劣化してきたら、東急の責任で取り替えてあげる。現在の主力であるシリコン系の太陽電池は、今はもう中国に完全に負けちゃいましたよね。でもペロブスカイト太陽電池はすぐに回収できるし、リサイクルもしやすい。それでまた新しい、いいものに替えてあげるっていったら、僕は今度は中国に勝てると思うんだよね。だから、ぜひ頑張っていただきたい。
夏野僕も小宮山さんの意見に賛成です。太陽電池もそうなんですけど、ぜひ蓄電池をね、サブスクモデルでやっていただきたいんですよ。蓄電池は、車に必要な容量の10分の1、つまり10kWや15kWで、一軒家にはものすごく大きな効果があるんです。仮に10kWの蓄電池を50万世帯が取り付けただけで500万kWです。これを500万世帯が取り付けると5000万kW。つまり、東京電力と同じぐらいの発電能力になるんですね。だけどこれがなかなか普及しない。うちは20kWの蓄電池をつけているんですけど、停電が起こっても、うちだけは煌々と明かりがついています。蓄電池は、そういう意味でも本当にメリットが大きいので、ぜひ太陽電池とセットで蓄電池のサブスクもお願いしたいなと思います。
未来のエネルギーのあり方は地産地消
木村日本では、温室効果ガスの排出量は、約3分の1が業務用と家庭用で、かなりの部分が都市に関わっています。これから建てるビルは、環境性能についてもかなり厳しい規制がかかるわけですが、大多数の既存ビルがどうなっていくのかという点は、今後の課題だと思っています。当然、全部建て替えるわけにはいきませんので、いかにエネルギーを消費しないビルに変えていくことができるのか、エネルギーを効率よく運転してどうやって省エネしていくのかということを考えていく必要があります。これは建物のオーナーにとっても電気代が減るというメリットがありますので、制度をつくるなり、組織がアドバイスするなり、何か仕組みができればいいなというふうに考えています。
夏野僕は昔からSFが大好きなんですが、SFっていうのは、エネルギーを究極的に有効利用する世界を描いているんです。そこで必ず出てくるのは、緑がいっぱいの自然の中に、いきなり高層ビルが現れるっていう絵です。つまり、エネルギー消費的に考えても都市効率的にも考えても、集合住宅中心の都市化をしたほうがいいはずなんですよね。分散して住んでいることのエネルギーロスや集合的に居住することのメリットを、そろそろ本気で考えなくてはいけないのではないかと僕は思っています。
小宮山僕はね、そんなことないと思う。もちろん、ポツンと一軒家みたいなものばかりじゃ困るけれども、エネルギーが再生可能エネルギーになるんだから、集落は自律できると思います。100戸とか、場合によっては1万戸でもいいんですけどね。そういういろいろなサイズの自律分散型の地域のほうが、むしろ再生可能エネルギーとは馴染みがいいんです。医療などのサービスは、どんどんオンラインになっていけばいいわけですしね。総合医が一人いて、あとはオンラインでやって、いよいよとなればドローンやヘリで行けばいいわけだから。
紺野NEOMがやっているサウジアラビアの巨大スマート都市「THE LINE」が今、物議を醸しています。砂漠の真ん中に、幅200m全長170km、高さ500mの巨大都市をつくって、 100%リニューアブル・エナジーで賄うと。さっき涌井先生がおっしゃっていた振り子のこっち側(デジタル)ですよね。全部デジタル。ここに住んで楽しいのかどうかは全然わからないですけれども、砂漠の国家がエネルギーを転換していこうとすると、こういうことしかないのだという究極までいっている例の一つだと思います。どこまで現実化するかはわかりませんが、世界中からお金を集めていますし、注目しておくべきだなと思います。
小宮山僕は「THE LINE」に住みたい人は住めばいいと思うけれども、やっぱりそこは多様性を認めるっていうのかな。そういう選択の自由がないと社会がもたないんじゃないかと思いますけどね。
夏野僕は地方居住がダメだと言っているわけではなくて、経済合理性で調整がつくようにしないといけないのではないかということを言いたいんですね。今、5000万世帯のうちの1000万世帯、つまり5分の1が過疎地に住んでいます。この状況はまずいのではないかと思っているんです。
中村つまりこれは、エネルギー密度の低い再エネの普及には選択の自由の制限が必要だという意見だと思うんですが、これについて、古舘さんにも意見を伺ってもよろしいですか。
古舘人類社会の歴史を振り返っていくと、基本的には使い勝手の良いエネルギー源をどんどん開発していくという歴史になっています。最初は木材しかなかったのが、化石燃料が使えるようになって、現代社会がこういう形で現出しました。
リニューアブル・エナジーは基本、太陽光のエネルギーを使うことになります。これは、総量は非常に多いんですけれども、非常に薄いという課題があります。簡単に言えば、自動車の屋根に太陽光パネルを取り付けて、それだけで自動車が時速200キロで走れれば何の問題もないんですけれども、それができないから化石燃料を使って自動車が動いてきたというのが現実なわけですね。そこの問題をどうクリアするのかということが、今の時点では大きく課題としてあると思っています。
今の話と関連したところでは、リニューアブル・エナジーは、薄くはなりますけれども地球全体にまんべんなく賦存しています。ですので、この活用の仕方は、原則として地産地消、地域で使うというのが非常に重要だと思っています。人類社会が、ずっと効率重視だった関係で都市化が進んできたというのが、これまでの世の中の流れです。しかし、これはいわゆる化石燃料を使っていく社会でのことです。時間を早回しする社会が進んでいくと、必然的に現れるのが都市社会なわけですね。しかし、今求められているのは、リニューアブル・エナジーを使って都市社会を支えようということではなく、リニューアブル・エナジーの特徴を生かして、地産地消の新しいモデルをつくること。そうすると、そこに時間のスローダ ウンの概念もうまく乗っかってくる可能性があると私は思います。たとえば太陽光発電なら、やっぱりどうしても夜は発電しないという問題があります。それを蓄電池で力ずくで解決することは、ある程度は必要なんですけれども、社会のあり方として、夜遅くまで働かずに早く起きて働こうということになるかもしれません。大きな流れを変える力は、リニューアブル・エナジーの本当の意味での正しい使い方にあります。自然と正しく向き合うことがなされて初めて、リニューアブル・エナジーが意味をもつのだとも思っています。
涌井まさに、自然を正しく理解するということが重要だと思います。植物というのは、いわば定住者です。動物とは違う。ゆえに植物の生存戦略は、動物を使っていかに繁殖していくことができるのかということです。彼らは、そのためのものすごい知恵をもっているんですよ。こうした植物がもっている力を科学技術の上に投影していくのがバイオミミクリー、生物力模倣技術という分野です。ただし、植物が力を発揮するには条件があって、小宮山先生がおっしゃるように、クラスターの大きさ(適性規模)が非常に問われるんですね。再生可能エネルギーも同じなんです。よそに送電するとか遠くへ運ぶというところには、そもそも不合理がある。だからまず、自己完結していくことのできるクラスターをどうやってつくっていくのかということが重要になってくると思います。
岩瀬私は2回目の参加ですけれども、今回も多様な議論があって非常に楽しく聞かせていただいております。今回のテーマはエネルギーということだったんですけれども、エネルギーをつくるにしても使うにしても環境に非常に負荷がかかるということ、そして、環境とエネルギーの切っても切れない関係のバランスをどう考えるのかということが主題だったのかなというふうに感じました。
バランスをとるためにも、時間を早回しにする社会からどうスローダウンしていくのかということを考えなくてはいけませんし、それにどうやったら気づくことができるのかという部分では、やっぱり俯瞰力だろうというお話もあったと思います。そして俯瞰力を養うのは多様性ですよね。いろいろな見方ができないとそれができないということで、ここにもやっぱりバランス感覚というものが求められていると感じました。
そうなりますと、今日はいろいろな議論が出ましたけれども、大まかに言ってしまうと何を大切にしなければいけないか、どういうポートフォリオで考えなきゃいけないかという、ポートフォリオとバランスの問題をずっと議論してきたのかなというふうに思いました。最初のほうでは、経済価値だけじゃない、今でいう非財務価値も大事ですよね、みたいな話もありましたし、技術だけじゃなくて感性も大切ですよねとか、体感と知識という話も出ましたし、DXとリアルという話もありました。つまり、両立させなきゃいけないもののバランスをどうやってとっていくのかという話だったように思います。
どういったバランスで、何を大切にして、と考えていくとやはり、社会が良くなるために、ということになっていきます。今風に言いますとウェルビーイングという言葉がありますよね。人が幸せになるだけではなく、社会も良くなる。さらに地球も良くなる。三方よしということを念頭に置き、企業としてこれから何をしなくてはいけないのかというあたりまでつなげて考えていくことができたら、エネルギー問題も含めて社会がよりよい方向に向かっていくんじゃないかなと思いました。